
2019年03月11日
訃報です。盛雄が亡くなりました。
2月23日(土)「動脈瘤乖離」で急逝
葬儀と49日までの法事は家族だけで執り行う
同期生の洲鎌盛雄が「動脈瘤乖離」で2月23日(土)に亡くなりました。
突然のことでした。
25日の葬儀は、元気なときから家族で話し合っていた家族葬として執り行なったとのことです。
16期の世話人会が「盛男急逝」の情報をつかんだのは3月4日のこと。
その後、事実関係を整理した結果、次のようなことが分かりました。
盛雄が亡くなる数日前、盛雄の奥様・和美さんが転倒・骨折して入院し、手術を受けました。
手術には盛雄が立ち会いました。その翌日、奥様が家にいるはずの盛雄に何度電話しても応答がなかったため、奥様の実家に連絡して、お家まで行ってもらったところ、盛雄は自宅で死亡していたとのことです。
ほんとうに残念です。
心からご冥福をお祈りいたします。
奥様からは「49日までの法事は家族だけで執り行いたい」との説明がありました。
49日は4月12日(金)にあたります。
世話人会では7日に話し合った結果、奥様のご意向をふまえて今後の対応をしていくことにしました。
同期生会としての対応などについては、続報していきます。
奇しくも、本欄の前記事(1月25日)では、盛雄の店(コーヒーショップ響)が今年10周年になること、お店のことが音楽雑誌に掲載されたことなどを紹介したばかりでした。
東日本大震災から8年
依然5万2千人が避難生活
マスコミでもこのところ特集扱いで報道されていますね。
地震・津波・原発爆発という未曽有の災害から8年が経ちました。
依然として5万2000人が厳しい避難生活を強いられています。
地域によっては、津波対策として「嵩(かさ)上げ工事が完成したものの、そこへ戻ってくる住民が少なく、復興の見通しが立たないとも伝えられています。
報道によりますと「警察庁発表で8日現在この震災の犠牲者は12都道県の1万589人、行方不明者は2533人」だそうです。
また、復興庁が公表している「震災による負傷の悪化などで亡くなった『震災関連死』を合わせると、犠牲者は2万2100人を超える」といいます。
原発の事故処理は「廃炉」に向けて動き始めているものの、遅々として進まないのが現状で、放射能汚染への不安も解消されていません。
一日も早い被災者支援、安心安全な復興策の加速などが求められます。
東日本大震災をきっかけに、仙台市在住の同期生、幸江と陽子の安否を気遣い、激励しようとの意味も込めて、震災後の4月8日にこのブログは創設されました。
これからも、喜びも、悲しみも分かち合い、同期生の心を結んでいきましょう。(じょうじ)
葬儀と49日までの法事は家族だけで執り行う
同期生の洲鎌盛雄が「動脈瘤乖離」で2月23日(土)に亡くなりました。
突然のことでした。
25日の葬儀は、元気なときから家族で話し合っていた家族葬として執り行なったとのことです。
16期の世話人会が「盛男急逝」の情報をつかんだのは3月4日のこと。
その後、事実関係を整理した結果、次のようなことが分かりました。
盛雄が亡くなる数日前、盛雄の奥様・和美さんが転倒・骨折して入院し、手術を受けました。
手術には盛雄が立ち会いました。その翌日、奥様が家にいるはずの盛雄に何度電話しても応答がなかったため、奥様の実家に連絡して、お家まで行ってもらったところ、盛雄は自宅で死亡していたとのことです。
ほんとうに残念です。
心からご冥福をお祈りいたします。
奥様からは「49日までの法事は家族だけで執り行いたい」との説明がありました。
49日は4月12日(金)にあたります。
世話人会では7日に話し合った結果、奥様のご意向をふまえて今後の対応をしていくことにしました。
同期生会としての対応などについては、続報していきます。
奇しくも、本欄の前記事(1月25日)では、盛雄の店(コーヒーショップ響)が今年10周年になること、お店のことが音楽雑誌に掲載されたことなどを紹介したばかりでした。
東日本大震災から8年
依然5万2千人が避難生活
マスコミでもこのところ特集扱いで報道されていますね。
地震・津波・原発爆発という未曽有の災害から8年が経ちました。
依然として5万2000人が厳しい避難生活を強いられています。
地域によっては、津波対策として「嵩(かさ)上げ工事が完成したものの、そこへ戻ってくる住民が少なく、復興の見通しが立たないとも伝えられています。
報道によりますと「警察庁発表で8日現在この震災の犠牲者は12都道県の1万589人、行方不明者は2533人」だそうです。
また、復興庁が公表している「震災による負傷の悪化などで亡くなった『震災関連死』を合わせると、犠牲者は2万2100人を超える」といいます。
原発の事故処理は「廃炉」に向けて動き始めているものの、遅々として進まないのが現状で、放射能汚染への不安も解消されていません。
一日も早い被災者支援、安心安全な復興策の加速などが求められます。
東日本大震災をきっかけに、仙台市在住の同期生、幸江と陽子の安否を気遣い、激励しようとの意味も込めて、震災後の4月8日にこのブログは創設されました。
これからも、喜びも、悲しみも分かち合い、同期生の心を結んでいきましょう。(じょうじ)
Posted by あぐとぅんがら at 00:50│Comments(0)